今よりも少しだけマシな生活

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あしたをもっとラクにしたい

懐かしい親殺しのタイムパラドックス

ダンメモ?ダンクロ?の道化師のストーリー良かったです。今回はイレギュラーレコード。こういう系はワクワクします。この作品に触れたのは数年前だったけどアニメもかなり出来が良くて好き。というのは置いておいて。

 

【親殺しのタイムパラドックスについて考えたこと】

タイムパラドックスにはいくつかあって一つは「過去の世界で親を殺したら今の自分は生まれるはずがなかった、ということになり世界の修正力?が働いて消えてしまう」とか。これはパラドックスの代表的な解釈みたいで定番だった気がします。フィクション作品ではよく主人公のカラダが消えていく、みたいな表現なのでは?しかしこれは少し不自然というか結局世界の修正力って神の力っぽくてであれば神の存在を認めるのか?みたいな話になるとちょっと受け入れづらい。神でなければ世界に組み込まれたシステム?なんかFFっぽい?AIに聞くと「自己修復型時間線:矛盾が発生した瞬間に歴史全体が再計算され整合性が保たれる」とかそういう説もあるようで。でも世界ってそんなに複雑なものなのか?っていう疑問を覚えるんですよね。電子の世界ではないだろ、と。

 

一方で「過去に飛んだら世界が分岐するのでその世界で母親を殺しても別世界なので問題ない」とか。自分の”本当の”母親は分岐前の世界にいて、分岐後の今の世界にいる母親とは”直接的な”関係を持っていない」とか。多世界解釈ってやつです。steins;gateとかも結構好きでした。

で、私も昨日までなんとなくこんな感じかなーと考えていたのですが改めて考えると随分都合良過ぎだなーと思ってしまうわけです。

要するに人間一人が過去世界に飛んだだけで世界が分岐=複製されるとか、この偉大な世界が、世界からするとゴミカス、塵、原子レベルみたいな生物が過去に飛んだくらいで世界がそのような処置を施してくれるものなのか?とか。世界丸ごとの複製ってそんなに簡単なものなのか?とかそのエネルギーはどこから調達してくるのか?とか色々。他には最初から世界は分岐していた、ってのもありそうですがそれはそれで膨大も膨大。可能性のある分だけ世界が存在するっていうのはこれはこれで現実感がない。

 

私ご都合主義って好きじゃないんです。手抜きと見分けがつかないから。最近だとその考えも変わりつつあるけど基本はそう。作品のプロットを考える時もこれが邪魔して中々上手くいかないけども。で改めて問題を再構成してみるわけです。

 

①第一に私が過去に飛んでもし過去の自分に合ってしまったらどうなるのか?

フォクションでは世界が崩壊するから絶対に出会っては駄目、とか言われます。崩壊するのは確か因果律です。それが崩壊すると世界が崩壊するのだそうです。ご都合主義です。普通に考えるとこうではないですか?出会ってそれで互いにびっくりするけどそれだけ。だって過去の世界から見たら二人の人間が出会っただけなのですから。別に世界を崩壊させる必要はないわけです。仮にその人が未来人であったとしても世界から見たら結局は只の肉の塊です。どのような情報を持っていようとも物質的には只の肉です。この世界には同じ遺伝子構造、同じ人格を持った人間が同じ場所に存在してはいけない、なんてルールは存在しません。ここで一つ私の結論が出ました。出会うことは問題はない。母親なら尚更問題はない。

 

②過去に飛んだ時点で因果は切れているのでは?そもそも因果律とは?

親殺しの話に戻ります。過去に戻った私は確かに母親から生まれました。この事実は変わりません。なにせ事実ですから。しかしこの私は過去世界へ飛んでいます。正規の時間軸から一旦切り離されているはず、と考えて「そもそも因果律とは人間があくまで原因と結果を一つの流れとして認識しているだけで実際には一つの流れである必要はない」という考えに至るわけです。因果律を私はこれまで何か世界のルールのように感じていましたがよくよく考えると物理学の研究で明らかになった物理法則、そういう法則とは呼べないものなのではないかと。この辺りAIに聞くとヘーゲルやカントという人が「因果は経験の構造であり世界そのものの構造ではない」と過去に言っていたそうです。構造批判的思考を持つ人らに再定義されるならば因果律とは「人間が時間的変化を理解するための認知的フレーム」であり自然界の絶対的法則ではない」だそうで。ここまで踏まえると一つの仮説が出てきます。

 

③過去世界で親を殺しても何も起きない

私はこれを最も妥当な解釈なのでは?と考えました。神の如き修正力?が働くわけでもなく、世界が塵の如き存在のために大げさに分岐することもない。しかしこの解釈に全くの素人が全世界の人々に先駆けて思いつくみたいなそんな話はないだろうとAIに聞くとやはり既にあった様です。単一宇宙再構成モデルだそうで。とか言って調べると論文ってより論文形式のまとめ。まともな論文を見たことがないけどこういうのは論文って言わないのでは?と。AIにもっとしっかりしてくれって言いたい。

 

【結論】

因果は絶対のルールではなく単なる認識の問題。

子供は母親から間違いなく生まれた。母親も過去世界で確実に死んだ。
一見矛盾しているように見えるのは一方向の時間軸の流れで見ているからであって
単純に
「私が生まれた後に過去世界で母親が死んだ」
「過去世界で母親が死んだけど私は既に生まれてる」
とそのまま認識すればいいわけです。矛盾は生じません。

 

【でもこれを踏まえると新たな問題が】

僕は2000年に母親と一緒に写真を撮った。その写真には2000年の刻印がある(昔のカメラは日時が印字される仕組み)。この状態で過去に行った僕ではない人間が1999年に僕の母親を殺す。どうなる?というもの。

これを矛盾なく処理しようとするとこうなる。

「当事者たちがこの写真は過去の情報の断片であってこの写真は確かに2000年に母親が生きていた事実を示すが、その後の過去改変によって死亡していた事実を覆すものではない」という認識を持てれば問題はない、というもの。

 

私は悪寒を覚えました。私が推した仮説だとこのような解釈が日常的に発生する社会にならざるを得ないからです。AIに投げるとこのような社会になると教えてもらいました。

 

①記録と現実の乖離が常態化、あらゆる証拠が事実としてではなく履歴として分類される。

②証拠はその情報場に属するか?その時間軸の痕跡か?を明示する必要性

③僕が母親と2000年に過ごしたという記憶が客観的な歴史と矛盾していても否定されない、正しいが整合しない

 

【それでもこっちを推す理由】

多世界解釈は物理的に都合が良過ぎる感が拭えません。物理的に都合が良過ぎる世界と精神的に頭がおかしくなりそうな世界なら後者の方が現実的だと考えます。物理の世界は制約がありますが精神の世界は考え方を変えるだけで済むからです。

 

【次は実践的な問題】

ブロックチェーンを限りなく嘘がつきにくいシステムと仮定して考える。

2024年1月にバイナンスに預けた一億ドルの暗号通貨を僕は2025年1月に自分のウォレットに引き出した。一方、2025年の3月から2024年7月に飛んだ鈴木はすぐにバイナンスに不正にアクセスして僕のウォレットから5000万ドル引き出して自分のウォレットに移した。この場合、2025年2月の時点で僕のウォレットはどうなってるか。2025年1月の時点で僕は確かに一億ドルの暗号通貨を引き出した。記憶もあるし履歴もある。

 

もう今日は疲れたからまた今度考える。